第1回「よこはま たそがれ」―人生の残り時間に気づいた日―
はじめまして、檜原村で羊を飼っている、とし坊です。横浜生まれで、1979(昭和54)年にコンピュータ会社を創業し、波瀾万丈なバブル期を越え、老後は心静かな隠居生活を予定していました。ところが、訳ありの大ドンデン返し! 第二の人生として、檜原村で畜産業をはじめました。木を切って、耕して、やっと収穫と思いきや、獣にやられる苦労の連続を肌で感じると、昔の人々が、耐え難きを耐えた凄さに思いを馳せます。このように、檜原村に来てからは、落胆する出来事が次々に起きます。しかし、嬉しい想定外もありました。それは、多くの素敵な出会いに恵まれるという事です。きっかけは、動物や植物の写真をインターネットに投稿していたことです。私の状況を知った知人が友だちを連れて村に来ては、次にはその友だちが別の友人を連れて来るなど友だちの輪の広がりが大きくなり、この数年で千人以上が遊びに来ています。そして、皆さんが私の活動を知ると暖かい支援をしてくれるので、本当に感謝しています。ただ、私の訳ありを知らない方々も多く「とし坊は、これから何をしようとしているのか?」と、よく尋ねられます。私は熟年から見た夢に向かい、第二の人生を歩み始めたばかりです。紙面を頂ける機会を得ましたので、これから一年間私の生い立ちや、夢見る終着先をご紹介できればと思います。
今から8年前、50歳の誕生日に、自宅近くのみなとみらい(横浜港)を散歩中に、夕暮れの海を見ていてなぜだかとてつもなく悲しい気持ちになりました。いつもなら、風呂入って、酒飲んで気持ちよくなったら、温かい布団でグウグウ寝るという、当たり前の毎日でしたが、その時は家に帰って寝たら、「朝が来ないんじゃないか?」という底知れぬ不安に襲われました。まるで、「生まれたての赤ちゃんは、眠ることが怖くて泣く」と、言われるような、私が忘れていた感覚が、50年ぶりに蘇ったのかも知れません。この日、港の夕暮れと人生の黄昏時が重なり、自分に残された時間は短く、「死んであの世には何も持って行けない」事を改めて思い知りました。