食育は孵化からの屠畜体験
食育の屠畜体験
日本の中で、動物を殺して肉を食べるという体験をする人は少ないと思います。
私は、こどもの時に「鳥を絞める」という行為を父親から見せられました。
「鳥をしめる」という表現は、直接的には鶏や他の家禽を屠殺(とさつ)する、すなわち食用とするために殺す行為を指します。この表現は、家禽を捕まえてその命を終わらせ、食肉として処理する過程全般を指して使われています。
衝撃の食育「屠畜体験」
こどもの頃、縁日でヒヨコが売られていました。縁日に行くたびに かわいいヒヨコが欲しくて、買ってもらっていたのですが、なかなか育たず死んでしまいます。
高学年になった頃、夏の縁日でも寒さで死ぬのではないかと思い、人間が熱いと思う程の電球で、ヒヨコが火傷しないか心配になるほどだったのですが、保温したところ問題なさそうでした。そしてヒヨコも複数購入してお互い温めあえるようにしたところ、はじめて大きくなったのです。
卵を産むのを楽しみにしていたのですが、全てがオスでした。後日知ると、どうやら縁日の夜店で売っているのは、選別されたオスだけのようです。
ある日、自分が好きな唐揚げができる手順をみて子どもだった私は大きな衝撃を受けました。まさか、飼育していた鶏が唐揚げになるとは思ってもみなかったからです。
私のこども時代の体験を聞いた北海道の女子スタッフも、小さい頃に飼っていた牛が学校から帰ってきたら解体されていて、食べた後に教えられて大泣きしたという話をしていました。子どもの頃のあるあるなのか…と感じましたが、皆さんはそのような経験ありますか?
①屠殺は動物が苦痛を感じることなく迅速に行われるべき
②鳥を熱いお湯に浸し、毛や羽が皮膚から離れやすくなるようにするが、肉が調理され始めない温度
血の匂い、羽を抜く感触、それら五感で屠殺(とさつ)を体験し、出来上がった唐揚げを目の前にして本当の「いただきます」という、命を食べる行為に恐れを感じました。
同時に、失った命で自分の命があるという事を知り、感謝の気持ちが芽生えたのは間違いのない事だと思います。
こども心に衝撃の屠殺体験が私にもたらした意義について、現在の考えを述べます。
食への意識の向上
食肉がどのようにして得られるかを直接見ることで、食べ物に対する感謝の気持ちや尊敬の念を深めることができます。食肉を無駄にしない、食べ物を大切にするという意識が高まります。
食の倫理への理解
動物福祉や持続可能な食品システムについて考えるきっかけになります。どのようにして動物が育てられ、どのように屠殺されるかを知ることで、倫理的な消費の選択をする上での基準が養われます。
自給自足のスキル
自ら食肉を調達し、処理する能力は、自給自足の生活において重要なスキルとなります。屠殺体験を通じて、食品の調達から調理までの一連のプロセスを学ぶことができます。
文化的・教育的価値
特定の文化や伝統の中で、動物の屠殺は重要な役割を果たすことがあります。文化的な背景や伝統的な方法を学ぶことは、その文化を理解し、保存する上での価値があります。
食品安全と衛生の知識
屠殺から食肉処理に至るまでの適切な方法を学ぶことで、食品の安全と衛生に対する知識が深まります。これは、個人や家庭での食品取り扱いにおいても役立つ情報です。
屠殺を体験することは、決して容易な経験ではありません。個人によっては精神的にも大きな影響を受ける可能性があります。そのため、このような体験をする際には、その目的と意義を十分に考え、倫理的な観点から適切に行うことが重要です。こどもに体験させたいとしても、十分な準備と説明が必要です。